何故かリメイク版(PSP)の表示が恵理子。ネットを見る限り1の方の人気が圧倒的ですが、 今回はあえて2のほうについて考察してみようと思います。
余談ですが、1の半場友恵さんによるボイスを支持してる人って多いのですが、
エリーは設定上帰国子女なので、半場さんの「カムヒアー、ペルソナ」より2の麻見さんの「come here、persona」(ちゃんと英語の発音)の方が設定にぴったりだから、個人的に2の麻見さんボイスを支持します。
・まずは見た目
異聞録と比べて洗練されてよりモデルっぽくなり、シャープでスタイリッシュな感じになっています(もっともこの頃の金子先生の美のセンスは彼の全ての作品の中でも異彩を放っています)
スーパーモデル
山口小夜子さんのファンの自分にとって、2のエリーは確実にモデルの道を進んでいると思えます。
・次は「本心と仮面」
2のエリーは自分の距離感を大事にしている人間です。そこからリアルさと女性らしさを感じるんです。
ペルソナとは社会的な仮面。周囲に適応する自己の外的側面。
家族と接する時の仮面、友達と接する時の仮面恋人と接する時の仮面、上司に接する時の仮面・・・
人間の心は脆い、誰も本音だけで生きられない、だから私たちにはペルソナが必要。
建前だの社交辞令だの偽りの態度だのと言われますが、相手を傷つけず且つ自分を守る手段ですから私たちには必要なものです。
例えば、うららの「現役モデルの友達が出来る」発言に対して、エリーの反応は「…え、Ms.Uraraが私を友達と?光栄ですわ。私の方こそ素敵なCareer womanとお近付きになれてとても嬉しいです。」
しかしこの時点 エリーとうららの二人コンタクト(キャラの人間関係を反映するシステム)は×
つまりエリーの反応は社交辞令、本音ではありません
うららだけではなく、他の仲間に対する態度(ある意味プレイヤーに対する態度)も明らかに少し距離を置くような接し方です
プレイヤーにとってお前仲間だから当然無条件に主人公サイドを信用すべき、それで「本音を言わない人だな」と印象が悪くなるのかも
しかしよく考えてみれば、見知らぬ人を無条件に信用できる人なんて普通いませんよね?
ここは参考として、南条や エリーが仲間になったばかりの頃のパオフゥさんの考えを見てください。
パオフゥ「あの坊ちゃんとお嬢ちゃんが新世塾幹部でない保証はどこにも無いぞ。もし奴らがそうなら…俺たちゃ一巻の終わりだ。」
「誰構わず信用しちまうのがお前らの悪い癖だ。噂操作で現れたからって、奴らが味方とは限らねえだろ。」
「あの坊ちゃんとお嬢ちゃん、ペルソナの扱いも相当手馴れてるなぁ。うかうかしてると年下になめられちまうぜ。」
「相手がペルソナ使いなら、互いの共鳴で多少の素性は読み取れる。だがな、あまりそればかり信用するんじゃねえぞ。
それなりの使い手なら共鳴もコントロールできる。あいつにしてもそうだ。腹の底じゃ何を考えているか分からねぇぞ。」
パオフゥからすればそうだが、エリーにとっても然りです。主人公サイドは赤の他人だから、いつ裏切られるか解らない。だから簡単に仲間と信じちゃいけない、実際は仲間かどうかなんて簡単には解らないですから。
女の子だし、モデルさんだから凄く綺麗ですし、ストーカー被害にあった経験もある、だから余計にそういう心配をしなきゃ駄目だったんです。
その後少しずつですが、罰の仲間たちと信頼関係を築いていきます。エリーとうららの二人コンタクトも出来るようになります。こういう信頼関係を築く過程はすごくリアル。
ゲーム中のコンタクトからうかがえるように、エリーとペル2キャラの関係は、
最初は単に「共通点のない仲間」にすぎない(○はコンタクト成立、×は不成立)
でも、そのうち趣味などの共通点を見つけて、一気に距離を縮めることができますね
この仲間達と仲良くなる過程、とてもリアルだと思います、だって、仲間とはいえ、いきなり仲良くなるわけがないでしょう。
異聞録の時仲間は全員クラスメイト、見知らぬ人ではないから簡単に信用できる、逆に言えば同じ程度の信頼関係を築くには大人の方が遥かに難しい。クラスメイトの友情は一緒にワイワイするだけでいいのですが大人はそういかない、もっと特別なきっかけが必要です。
故に大人の信頼関係は、青春時代の熱い友情以上に素敵なものだはないでしょうか、と思っています。
公式本(金子一馬グラフィックス 万魔殿 ~キャラクター編~)によると、エリーの言動は(礼儀正しい姿、社交辞令的な言葉、ちょっと不自然な曖昧な微笑、英語交じりの日本語)全て周りに溶け込みにくい帰国子女という立場を逆手にと取った彼女流の交際術だそうです。
もっとも、彼女の日本語能力では、わざわざ英語を使う必要はないのでしょう。
恐らくマジシャンのセロさんと同じ原理、自己演出の手段。マジシャンのセロさんは、普通に英語も日本語も達者なのに自己演出のためにマジシャンの演出中は口癖のように英語をしゃべるそうです。そういう方法で「はい、ワタシ日本語ワカリマセンから、嘘をつかないよ、だからここになんのトリックもアリマセンよ」観客の心を操り、魔術の成功率をアップするのです。
もちろん、エリーはマジシャンではないので、あくまで帰国子女という堅い鎧を作って、自分を守ろうとしているのだと思います。
帰国子女ならいざという時に「Oh、I'm Sorryおっしゃる意味がわかりません」とトボけることが出来ますから(笑)
キャラの専用ペルソナはその人の一面を表すもの(金子先生のこういう処は実に上手い)ですが、2のエリーの専用ペルソナニケーの見た目はまさに硬く冷たい女です。
そう、ペルソナとは社会的な仮面。周囲に適応する自己の外的側面。見知らぬ人と接する時のエリーは、あえてこんな硬く冷たい女を演じるのです。それがエリーの鎧、エリーのペルソナ。
しかし、エリーは決して交際術の達人ではありません
一見自信に溢れているように見えますが、実は叶わぬ恋心や自分のキャラに対する不安に苦しめられています。
また、背が低いからモデルの仕事はそんなに順調ではありません(里見さんによる公式発言)
だから作中でもカメラマンたちに笑顔が硬いと言われています。
だから好きな人の前ではあんなに無防備になり、普段の姿からは想像できないほど緊張してしまいました。
偽ピアスの前のエリーは英語を使ったことは一度もありませんでした。好きな人の前では、もうそれどころではないから。
オカルトを目の前にすると、彼女は普段の冷静さが消し飛び天然っぷりを見せてくれます。 しかし大人の世界は本音だけで生きられない。
だから距離感を作って自分を守ろうとしていて、だから初期ペルソナのニケーがあんな感じになってしまったのでしょう。
そんな魂胆が見え見えのペルソナは、彼女はまだ大人になりきれない証拠。故に彼女は交際術の達人ではなく、あくまで交際術を勉強する未来の大人の一人です。
・エリーの愛情観
エリーの悩みの原因は、公式の片思い設定にあると思います。
前作では、好きな人が他のマキと一緒にアラヤ岩戸に入った時、エリーは岩戸の前に立ち尽くすことしかできませんでした。
きっとその時、自分の恋は簡単に実らなさそうってことに気付いています。 だからストーカーの言葉に苦しめられます=「片想いの自分は、もしかしてストーカーと同じ人種?」という恐怖に因われてしまいます。
同じ恋する女でも、彼女とリサは、正反対な行動を取っています。
リサの恋は自分の気持ちが一番大切な恋です。 リサ「達哉の気持ちは達哉のもの。わたしの気持ちはわたしのもの。たとえ達哉がわたしのこと嫌いでも、わたしは達哉を愛してる。」
シャドウリサ「達哉の気持ちなんてどうでもいい!!達哉はわたしだけのものなんだ!!」
この二つの台詞は、違う言い方だけど実は同じ意味です。自分の気持ちを大切にする、達哉の気持ちについてあまり考えていません
(*誇張した言い方をしますがシャドウは嘘をつきません)
対してエリーの恋は相手の気持ちを大切にする恋、だから「一方的な好意は迷惑」ということを念頭に置き、だからストーカーに「おめぇと俺は同じだよぉぉ!」と言われます。あのストーカーのシナリオ上のポジションは、実はエリーのシャドウに当たるのです。相手のことばかり考えて、考えすぎたから臆病になり、告白する機会を逃して、自分で自分を苦しめているようになってしまいました。
だから鏡の泉でエリーはこう言います。
「私…自分の気持ちを偽っていましたわ…拒絶が…怖かったのですわ…」
恋愛に臆病になってしまう、だから自分の気持ちを偽っていました
でもそれがいいんです。拒絶が怖くない人なんていません。拒絶が怖いからみんな直球な告白できる人に憧れます。人間とはそういうものです。
実はリサだって思い切り直球な告白できていませんでした。
リサの本当の告白はゲーム後半の金牛宮の時。それまでのリサは、告白もせずに恋人(自称)として達哉に付きまとい、達哉を巡って洋子などクラスメイトと激しい攻防を繰り広げていました。また舞耶に対してはかなり警戒をしています。
つまりリサの恋の戦略は、告白→正式に付き合うではなく、まずは達哉の周りの恋敵と潜在的な恋敵を排除して、それから達哉に告白することでした。何故ならその方が一番安全だからです。そしてその方法を選択したリサもまた、恋愛に臆病な人間です。
ですが、リサの行動とエリーの行動、どれが正しいどれが間違い、ということではないのです。
恋する女は強い、そして恋する女は脆い。脆いから、一か八かと直球勝負で告白するできなかったのです。
相手を愛するほど拒絶が怖くなり、怖いことは愛情の深さの証拠です。
直球な告白出来なかったことは人間性の証拠です。臆病になってしまったことは、エリーもリサも、普通の女の子である証拠です。
しかもエリーの恋は片思いで、だからリサ以上に未来に不安を感じます。
その証拠の一つは
罰の相性占い
エリーと相性がいい(気が合う)選択は
ネコよりイヌの方が好きだ(黒猫に苦しめられたから?)はい
人に良く「変わっている」と言われる はい
食べるのは早い方 いいえ
自分の将来に、何らかの不安を感じている はい
ちなみに、罰の相性占いの結果がエリーの時彼女の反応はこうです
はい、明らかにガードをしてくれます。
「とても光栄ですわ」の部分が社交辞令で、「占うのはあの人との相性ばかり」の部分こそ本音です。エリーはこうして社交辞令という仮面で自分を守っています。
また、異聞録の時のプレイヤー視点=ピアス視点、だからエリーの態度はクラスメイトや好きな人に対する態度、プレイヤーにとってエリーは「俺のこと愛してくれる女」です。
罪、罰の時のプレイヤー視点=達哉、舞耶視点、だからエリーの態度は見知らぬ人に対する態度、プレイヤーにとってエリーは「他人を愛する女」。
これは当たり前のことです、当たり前過ぎてプレイヤーたちが気づかないかもしれません。
彼女は、自分の未来に、恋の行方に不安を感じていました。しかし、苦しみながらも結果が出るまで諦めません。
テレビ局イベント後、ベルベットルームで彼女はこう言いました。
肝が据わっていてかっこいい。
だからエンディングであんなに穏やかに、ライバルと並んで微笑むことが出来たんでしょう。
自分はもう変わりました、今の自分ならマキに負けない自信がある、と、そんな感じの笑顔に私には見えました。
私いつも思うんです、何故罰にエリールートが必要なの? 神取との因縁なら南条ルートだけで十分じゃないかと。
もちろん、前作一番人気な女性キャラを再登場することで客を寄せることも理由の一つですが、それだけじゃないでしょう。それだけなら見た目から設定まで大きく変わる必要はない、前作のままでいいです。
現に2のエリーは「俺ら異聞録ユーザーに対する嫌がらせ」とまでに言われています(苦笑)から、客寄せとしてはまさに逆効果ではありませんか。
女性たちのポジションから言えば、
ギンコは「恋する少女」
うららさんは「自分を探す普通な女」
ゆきのさんは「恋をすると女は変わる」
舞耶は「忘れられた女」
そしてエリーは「本音と仮面で悩む女」ではないでしょうか
ペルソナは人の成長の物語、子供から大人になることは、「自分のキャラ」という社会的な仮面を見つけることです。
大人の世界の一員として、社会の一員になる為に人間交際術は不可欠なもの・・・ そして本音と仮面で悩むことになりますが、それは誰でもある、極めて普通なこと
そういう意味でエリールートが必要ではないでしょうか
確かに、私のエリー好きはエリーを小夜子さんと重ねて見ていたもあります(そもそも小夜子さんを知る切っ掛けになったのはエリーなので)。1の頃のエリーは、設定上周りの期待に合わせて男子ウケの良い髪型にしていた可能性はあります。2のエリーはもうそんなことをしないから、周りが可愛いと思うよりも自分が可愛いと思ってしてる髪型を選択したかも。(「あなたが見間違えるような女性になってみせますわ」と約束したが、この髪型を選択したのはピアスではなくあくまでエリー自身の美の意識)
きっとエリーにもいつか、美を追究することは誰のためでもなく、自分の為だということが分かる日は来るはず。
いや、鏡の泉の時の台詞を見る限り、彼女は既に分かっているかもしれない。
うらら「エリーちゃんはどうするの?」
エリー「Kei達と、街の人々をお助けしますわ。そして、約束を果たします。
私自身のために。