忍者ブログ

ペルソナ2考察倉庫

ペルソナ2罪、ペルソナ2罰関連の個人的な考察、小話、絵などの倉庫です

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

罪のOPの詩についての考察


影法師   ハイネ
遠山一行 訳

静けき夜 巷は眠る
彼の人はこの街すでに去りませど
一人の男 そこに立ち 高きを見やり
その姿見て 我が心おののきたり
我が 己の姿
などて 汝 去りし日の
我が悩み まねびかえすや
この家に 我が恋人は かつて 住み居たりし
そが家はいまもここに残りたり
手は大いなる苦悩と闘うと見ゆ
月影の照らすは
汝 我が分身よ 青ざめし男よ
幾夜をここに 悩み過ごせし

ドッペルゲンガーと言えば「もう一人の自分と会えば死ぬ」という特徴が有名。
シナリオ中でこの詩を言及した場合は舞耶の達哉と淳はドッペルゲンガーみたい」発言。
しかし達哉と淳は普通に再会して別にどちらが死ぬことはない。

ここでスタッフの公式発言を参照すると、スタッフが「影法師」から感じたのは「悲しい記憶の中に住む自分の影」で、「会えば死ぬ」という元ネタの特徴ではない。しかも発言を見る限り、「影法師」という詩は達哉と淳の関係だけを表すのではなく、コンセプトの階段でシナリオのモチーフとなったようです。

ではハイネの「影法師」という詩は一体どんな作品でしょうか。
外国語・映画・歌・詩&日曜大工&地元学&麻雀というブログの作者heinrichさんの許可を得て、heinrichさんの「影法師」についての紹介ページから、紹介文を引用させていただきます。

しかし、ハイネのこの詩は、ドッペルゲンガーという語を直接用いながらも、そのような怪奇小説的な
筋立てとは無関係だ。むかし愛した女性の家の前に立つと、叶わぬ思いを抱いて彼女の部屋を見上げて
いた苦い思い出がよみがえってくる、その懊悩を生々しく表現するのに、当時の自分そのままの姿を
登場させて、その分身に身をよじらせる。そのことによって、詩人自身はいまやある程度古い恋の傷が
癒えていること、そして昔よりも冷静にその場に立っていることをほのめかしながらも、分身にその恋が
いかに苦しいものであったかを伝えさせているのだ。

恋心はふたりの胸に同時に芽生えることもまれではない。たとえ時間差があったとしても、好きになって
いく過程は楽しいものだ。
しかし恋の終わりがふたりに同時に訪れることはまずありえない。一時はともに永遠の愛を誓うまでに
燃え上がりながら、やがてどちらか一方が冷めていく。相手の変化に気づいたら自分も同じように冷める
のなら苦しみは耐えやすいことだろう。しかし現実はそう簡単ではない。
相手が離れれば離れるほど、失うまいといっそう執着して、この詩のようにストーカーまがいの振る舞い
をしてしまう。そうなったらもうその場所を離れるしか薬はない。つまり Out of sight, out of mind.
に頼るのだ。


まさにペル2のシナリオを表す詩。
ちなみに別の公式発言によると罪と罰の企画は、罪が先で罰が後ではなく、企画の階段は同じ物語の二つの側面として企画を立てますので、もしかして達哉と淳の関係だけではなく、罪から罰の結末詩と同じかもしれません。
『叶わぬ思いを抱いて彼女の部屋を見上げていた苦い思い出がよみがえってくる』
『相手が離れれば離れるほど、失うまいといっそう執着して、この詩のようにストーカーまがいの振る舞いをしてしまう』
これらは罪のジョーカーにも罰の達哉はにも当てはまると思います。

さらに、「影法師」という詩は「帰郷」という連作詩の一環で、「帰郷」という連作詩もやはり「未練と決別」をテーマとしている。

この詩はもちろん単独でも十分に鑑賞に耐えうるが、連作詩の一環としてみるとなお興味深く映る。
「帰郷」のなかの第16番から第27番までは、もうひとつ単位の小さい連作と見ることができる。
ハイネの生まれ故郷はデュッセルドルフだが、この詩の作者が「帰郷」する都市はハンブルクだ。
その町には銀行家の叔父ザロモン・ハイネがいた関係で、19歳のときに商売の修行のために移り
住んだ。叔父の出資で商会を開業するが翌年には廃業、ボン大学、ゲッティンゲン大学で法律学を
学ぶ。この叔父は二つの面でハイネの人生に深く関与した。ひとつはハイネを終生経済的に援助した
こと、もうひとつはハイネが熱烈に恋することになるふたりの娘の父であったことだ。
最初は姉のアマーリエに恋をしたが、彼女はさっさと金持ちの地主と結婚してしまう。
次には妹のテレーゼに恋心を抱く。アマーリエのときよりもうまくいくかと思われたこの恋もしかし、
テレーゼの婚約でまたも失恋に終わる。
「帰郷」第16番から27番までは、アマーリエとの思い出を歌ったもので、一貫して苦い味の詩
ばかりだ。
第16番では、街が見えて来たとたん「最愛の人を失った場所」と形容している。
第17番では、アマーリエやその家族に悪態をつきながら、自嘲の言葉遊びをしている。
第18番では、馴染んだ路地を足が自ずとあの家へと向かううちに次第に重苦しい気分に襲われる。
第19番では、ついに思い出の場所に着く。彼女が涙ながらに永遠の愛を誓ったその場所にはいま
蛇が這っている。イヴをそそのかした蛇か。
そして第20番が『影法師』。
第21番では、彼女は今頃自分のことなどすっかり忘れて安眠しているだろう、そう思うと怒りが
こみ上げて来て、深夜自分の墓に連れ出すぞ、と物騒になってくる。詩はこのあたりから夜と幻想の
似合うロマン主義の色彩を帯びてくる。
第22番も同じくロマン主義そのもの。乙女が骸骨と踊る「死の舞踏」のモチーフが登場する。
第23番は夢の世界。そこでは彼女の姿はむかしのまま、口元の笑み、涙にうるむ目、ああ、失った
のが信じられない。
第24番は、この連作詩のなかでただひとつ異質。小さな恋の世界でなく「大世界」での苦悩を担う
詩人の姿が描かれる。シューベルトはこの詩にも曲を付けた。タイトルはギリシャ神話の地球を支える
巨人『アトラス』だ。
第25番では、再び未練がつづられる、もう一度会いたい、そして愛を告げたいと。
第26番はまた夢の世界。遠くに住む彼女の家の階段の石に口づける詩人。その石は彼女の足が、
裾が触れたものだから。窓からそのようすを覗き見る青白い顔。
第27番、小さな連作の最後は「むかしの恋よ、涙よ、さらば!」と閉じられる。


「影法師」は連作詩の一環、そしてこの連作詩を罰のシナリオに当てて見ると、共通点は
達哉にとって、この街は「最愛の人を失った場所」
舞耶は今頃自分のことなどすっかり忘れて安眠しているだろう
再び未練がつづられる、もう一度会いたい、そして愛を告げたい
連作のラストの「むかしの恋よ、涙よ、さらば!」は、罰のラストで舞耶と仲間たちとの決別と一致している

だから岡田さんは「コンセプト階段で、いや、これもうドッペルゲンガーしかないですよ」と言いましたね
----
以下個人の感想ですが、
「再会」ではなく「未練と決別」を描く連作詩「帰郷」、その中でも特に「悲しい記憶の中に住む自分の影」を描く「影法師」をモチーフにしたペルソナ2ですから、罪のラストの「再会」よりも罰のラストの「決別」こそこの詩に相応しい結末だと思います。つまり、罰の結末は蛇足ではなく「影法師」をモチーフにした時点で、あらかじめ決められたものかもしれません。

「決別」という切ないエンドよりも「再会」というハッピーエンドの方が好きな人が多いかもしませんが、それはもうユーザーの好みの問題でOPの「影法師」とは無関係です。      

拍手[12回]

PR

舞耶と星あかり

これは知り合いからの情報なんですけど、読むとなるほどと思いました

イシュキックこと星あかりというキャラの存在意味について




舞耶とやたら絡む星あかり
「マイア・改」が貰えますし「舞耶にまかせる」方が正解っぽい

おそらく作者さんの意図は、
10年前の舞耶と今の星あかりはいろんな意味で似たもの同士だから、舞耶はそんなあかりを自分の過去に重ねてしまうではないでしょうか
だからあかりの口癖も「ちょめちょめタイム」
だから舞耶のペルソナ改フラグ条件は「舞耶にまかせる」ですよね



10年前の舞耶は13歳、達哉たちの視点では「お姉ちゃん」に見えますが実はまだ子供。文学や詩が好きで「将来の自分」、「おまじない」などに憧れるお年頃の女の子。

星あかりもちょど13歳の夢見がちな女の子、公式資料によると「本当の自分は、漫画のヒロインのように、太古の戦士の生まれ変わりだと思い込むようになり、オカルト雑誌の文通欄で前世の仲間を探すなどするようになった。」



やばい子よね
でもそんなやばい行動もゲームオリジナルではなくリアルで起こったことですから笑えない
ペルソナ2は、「歴史的噂」を扱っている作品ですから
資料リンク
ムーの前世少女年表
http://tiyu.to/n0703sp1.html
オカルト雑誌『ムー』だけではなく他の雑誌への投稿もありますので、昔では一大ブームとなった感じ
http://tiyu.to/070307.html
http://tiyu.to/070307.html


13歳の子供にとって、仲間に「未来の自分が見えるおまじないを教えてあげる」はごく自然な考えだと思います
父親に捨てられた(本人がそう思ってる)舞耶は他人に必要とされたいと思い、
年下ばかりの仮面党に入ったことは、彼女もまたあかりのように仲間を探しているのではないでしょうか



後の影舞耶の台詞「お前は、死にたがっているはずなのに…」を対照して読むと、
この時の舞耶は、自分の中の「死んだっていいもん」な思いを認めたくないからイシュキックの言葉に激しく反応してるんですね
ネガティブな思考の舞耶の口癖が「レッツ·ポジティブ·シンキング!」のように



ここの「よくがんばったね」はあかりへだけではなく、子供の頃自分への言葉でもあると思います(あの時の自分だって精一杯頑張ってるし)




結果オーライ



舞耶「イシュキックも、ホントは悪い子じゃないと思う。できる事なら、私はあの子も救ってあげたい。フフフ、おせっかいかな、私。」

舞耶に出会ったからあかりは救われた、でも舞耶を救う人がいませんでした。

拍手[9回]

ペルソナ2・罰の桐島英理子についての考察



何故かリメイク版(PSP)の表示が恵理子。ネットを見る限り1の方の人気が圧倒的ですが、 今回はあえて2のほうについて考察してみようと思います。

余談ですが、1の半場友恵さんによるボイスを支持してる人って多いのですが、
エリーは設定上帰国子女なので、半場さんの「カムヒアー、ペルソナ」より2の麻見さんの「come here、persona」(ちゃんと英語の発音)の方が設定にぴったりだから、個人的に2の麻見さんボイスを支持します。



・まずは見た目
異聞録と比べて洗練されてよりモデルっぽくなり、シャープでスタイリッシュな感じになっています(もっともこの頃の金子先生の美のセンスは彼の全ての作品の中でも異彩を放っています)
スーパーモデル山口小夜子さんのファンの自分にとって、2のエリーは確実にモデルの道を進んでいると思えます。

・次は「本心と仮面」
2のエリーは自分の距離感を大事にしている人間です。そこからリアルさと女性らしさを感じるんです。

ペルソナとは社会的な仮面。周囲に適応する自己の外的側面。
家族と接する時の仮面、友達と接する時の仮面恋人と接する時の仮面、上司に接する時の仮面・・・
人間の心は脆い、誰も本音だけで生きられない、だから私たちにはペルソナが必要。
建前だの社交辞令だの偽りの態度だのと言われますが、相手を傷つけず且つ自分を守る手段ですから私たちには必要なものです。

例えば、うららの「現役モデルの友達が出来る」発言に対して、エリーの反応は「…え、Ms.Uraraが私を友達と?光栄ですわ。私の方こそ素敵なCareer womanとお近付きになれてとても嬉しいです。」
しかしこの時点 エリーとうららの二人コンタクト(キャラの人間関係を反映するシステム)は×
つまりエリーの反応は社交辞令、本音ではありません
うららだけではなく、他の仲間に対する態度(ある意味プレイヤーに対する態度)も明らかに少し距離を置くような接し方です
プレイヤーにとってお前仲間だから当然無条件に主人公サイドを信用すべき、それで「本音を言わない人だな」と印象が悪くなるのかも
しかしよく考えてみれば、見知らぬ人を無条件に信用できる人なんて普通いませんよね?


ここは参考として、南条や エリーが仲間になったばかりの頃のパオフゥさんの考えを見てください。
パオフゥ「あの坊ちゃんとお嬢ちゃんが新世塾幹部でない保証はどこにも無いぞ。もし奴らがそうなら…俺たちゃ一巻の終わりだ。」
「誰構わず信用しちまうのがお前らの悪い癖だ。噂操作で現れたからって、奴らが味方とは限らねえだろ。」
「あの坊ちゃんとお嬢ちゃん、ペルソナの扱いも相当手馴れてるなぁ。うかうかしてると年下になめられちまうぜ。」
「相手がペルソナ使いなら、互いの共鳴で多少の素性は読み取れる。だがな、あまりそればかり信用するんじゃねえぞ。
それなりの使い手なら共鳴もコントロールできる。あいつにしてもそうだ。腹の底じゃ何を考えているか分からねぇぞ。」


パオフゥからすればそうだが、エリーにとっても然りです。主人公サイドは赤の他人だから、いつ裏切られるか解らない。だから簡単に仲間と信じちゃいけない、実際は仲間かどうかなんて簡単には解らないですから。
女の子だし、モデルさんだから凄く綺麗ですし、ストーカー被害にあった経験もある、だから余計にそういう心配をしなきゃ駄目だったんです。
その後少しずつですが、罰の仲間たちと信頼関係を築いていきます。エリーとうららの二人コンタクトも出来るようになります。こういう信頼関係を築く過程はすごくリアル。



ゲーム中のコンタクトからうかがえるように、エリーとペル2キャラの関係は、
最初は単に「共通点のない仲間」にすぎない(○はコンタクト成立、×は不成立)
でも、そのうち趣味などの共通点を見つけて、一気に距離を縮めることができますね
この仲間達と仲良くなる過程、とてもリアルだと思います、だって、仲間とはいえ、いきなり仲良くなるわけがないでしょう。

異聞録の時仲間は全員クラスメイト、見知らぬ人ではないから簡単に信用できる、逆に言えば同じ程度の信頼関係を築くには大人の方が遥かに難しい。クラスメイトの友情は一緒にワイワイするだけでいいのですが大人はそういかない、もっと特別なきっかけが必要です。
故に大人の信頼関係は、青春時代の熱い友情以上に素敵なものだはないでしょうか、と思っています。

公式本(金子一馬グラフィックス 万魔殿 ~キャラクター編~)によると、エリーの言動は(礼儀正しい姿、社交辞令的な言葉、ちょっと不自然な曖昧な微笑、英語交じりの日本語)全て周りに溶け込みにくい帰国子女という立場を逆手にと取った彼女流の交際術だそうです。
もっとも、彼女の日本語能力では、わざわざ英語を使う必要はないのでしょう。
恐らくマジシャンのセロさんと同じ原理、自己演出の手段。マジシャンのセロさんは、普通に英語も日本語も達者なのに自己演出のためにマジシャンの演出中は口癖のように英語をしゃべるそうです。そういう方法で「はい、ワタシ日本語ワカリマセンから、嘘をつかないよ、だからここになんのトリックもアリマセンよ」観客の心を操り、魔術の成功率をアップするのです。
もちろん、エリーはマジシャンではないので、あくまで帰国子女という堅い鎧を作って、自分を守ろうとしているのだと思います。
帰国子女ならいざという時に「Oh、I'm Sorryおっしゃる意味がわかりません」とトボけることが出来ますから(笑)

キャラの専用ペルソナはその人の一面を表すもの(金子先生のこういう処は実に上手い)ですが、2のエリーの専用ペルソナニケーの見た目はまさに硬く冷たい女です。
そう、ペルソナとは社会的な仮面。周囲に適応する自己の外的側面。見知らぬ人と接する時のエリーは、あえてこんな硬く冷たい女を演じるのです。それがエリーの鎧、エリーのペルソナ。

しかし、エリーは決して交際術の達人ではありません
一見自信に溢れているように見えますが、実は叶わぬ恋心や自分のキャラに対する不安に苦しめられています。
また、背が低いからモデルの仕事はそんなに順調ではありません(里見さんによる公式発言)
だから作中でもカメラマンたちに笑顔が硬いと言われています。
だから好きな人の前ではあんなに無防備になり、普段の姿からは想像できないほど緊張してしまいました。
偽ピアスの前のエリーは英語を使ったことは一度もありませんでした。好きな人の前では、もうそれどころではないから。

オカルトを目の前にすると、彼女は普段の冷静さが消し飛び天然っぷりを見せてくれます。 しかし大人の世界は本音だけで生きられない。
だから距離感を作って自分を守ろうとしていて、だから初期ペルソナのニケーがあんな感じになってしまったのでしょう。 
そんな魂胆が見え見えのペルソナは、彼女はまだ大人になりきれない証拠。故に彼女は交際術の達人ではなく、あくまで交際術を勉強する未来の大人の一人です。


・エリーの愛情観
エリーの悩みの原因は、公式の片思い設定にあると思います。



前作では、好きな人が他のマキと一緒にアラヤ岩戸に入った時、エリーは岩戸の前に立ち尽くすことしかできませんでした。
きっとその時、自分の恋は簡単に実らなさそうってことに気付いています。 だからストーカーの言葉に苦しめられます=「片想いの自分は、もしかしてストーカーと同じ人種?」という恐怖に因われてしまいます。

同じ恋する女でも、彼女とリサは、正反対な行動を取っています。
リサの恋は自分の気持ちが一番大切な恋です。 リサ「達哉の気持ちは達哉のもの。わたしの気持ちはわたしのもの。たとえ達哉がわたしのこと嫌いでも、わたしは達哉を愛してる。」
シャドウリサ「達哉の気持ちなんてどうでもいい!!達哉はわたしだけのものなんだ!!」
この二つの台詞は、違う言い方だけど実は同じ意味です。自分の気持ちを大切にする、達哉の気持ちについてあまり考えていません
(*誇張した言い方をしますがシャドウは嘘をつきません)

対してエリーの恋は相手の気持ちを大切にする恋、だから「一方的な好意は迷惑」ということを念頭に置き、だからストーカーに「おめぇと俺は同じだよぉぉ!」と言われます。あのストーカーのシナリオ上のポジションは、実はエリーのシャドウに当たるのです。相手のことばかり考えて、考えすぎたから臆病になり、告白する機会を逃して、自分で自分を苦しめているようになってしまいました。

だから鏡の泉でエリーはこう言います。
「私…自分の気持ちを偽っていましたわ…拒絶が…怖かったのですわ…」
恋愛に臆病になってしまう、だから自分の気持ちを偽っていました
でもそれがいいんです。拒絶が怖くない人なんていません。拒絶が怖いからみんな直球な告白できる人に憧れます。人間とはそういうものです。

実はリサだって思い切り直球な告白できていませんでした。
リサの本当の告白はゲーム後半の金牛宮の時。それまでのリサは、告白もせずに恋人(自称)として達哉に付きまとい、達哉を巡って洋子などクラスメイトと激しい攻防を繰り広げていました。また舞耶に対してはかなり警戒をしています。
つまりリサの恋の戦略は、告白→正式に付き合うではなく、まずは達哉の周りの恋敵と潜在的な恋敵を排除して、それから達哉に告白することでした。何故ならその方が一番安全だからです。そしてその方法を選択したリサもまた、恋愛に臆病な人間です。

ですが、リサの行動とエリーの行動、どれが正しいどれが間違い、ということではないのです。
恋する女は強い、そして恋する女は脆い。脆いから、一か八かと直球勝負で告白するできなかったのです。
相手を愛するほど拒絶が怖くなり、怖いことは愛情の深さの証拠です。
直球な告白出来なかったことは人間性の証拠です。臆病になってしまったことは、エリーもリサも、普通の女の子である証拠です。


しかもエリーの恋は片思いで、だからリサ以上に未来に不安を感じます。
その証拠の一つは罰の相性占い
エリーと相性がいい(気が合う)選択は
ネコよりイヌの方が好きだ(黒猫に苦しめられたから?)はい
人に良く「変わっている」と言われる はい
食べるのは早い方 いいえ
自分の将来に、何らかの不安を感じている はい

ちなみに、罰の相性占いの結果がエリーの時彼女の反応はこうです



はい、明らかにガードをしてくれます。
「とても光栄ですわ」の部分が社交辞令で、「占うのはあの人との相性ばかり」の部分こそ本音です。エリーはこうして社交辞令という仮面で自分を守っています。


また、異聞録の時のプレイヤー視点=ピアス視点、だからエリーの態度はクラスメイトや好きな人に対する態度、プレイヤーにとってエリーは「俺のこと愛してくれる女」です。
罪、罰の時のプレイヤー視点=達哉、舞耶視点、だからエリーの態度は見知らぬ人に対する態度、プレイヤーにとってエリーは「他人を愛する女」。
これは当たり前のことです、当たり前過ぎてプレイヤーたちが気づかないかもしれません。


彼女は、自分の未来に、恋の行方に不安を感じていました。しかし、苦しみながらも結果が出るまで諦めません。
テレビ局イベント後、ベルベットルームで彼女はこう言いました。

肝が据わっていてかっこいい。
だからエンディングであんなに穏やかに、ライバルと並んで微笑むことが出来たんでしょう。
自分はもう変わりました、今の自分ならマキに負けない自信がある、と、そんな感じの笑顔に私には見えました。


私いつも思うんです、何故罰にエリールートが必要なの? 神取との因縁なら南条ルートだけで十分じゃないかと。
もちろん、前作一番人気な女性キャラを再登場することで客を寄せることも理由の一つですが、それだけじゃないでしょう。それだけなら見た目から設定まで大きく変わる必要はない、前作のままでいいです。
現に2のエリーは「俺ら異聞録ユーザーに対する嫌がらせ」とまでに言われています(苦笑)から、客寄せとしてはまさに逆効果ではありませんか。

女性たちのポジションから言えば、
ギンコは「恋する少女」
うららさんは「自分を探す普通な女」
ゆきのさんは「恋をすると女は変わる」
舞耶は「忘れられた女」
そしてエリーは「本音と仮面で悩む女」ではないでしょうか
ペルソナは人の成長の物語、子供から大人になることは、「自分のキャラ」という社会的な仮面を見つけることです。
大人の世界の一員として、社会の一員になる為に人間交際術は不可欠なもの・・・ そして本音と仮面で悩むことになりますが、それは誰でもある、極めて普通なこと
そういう意味でエリールートが必要ではないでしょうか



確かに、私のエリー好きはエリーを小夜子さんと重ねて見ていたもあります(そもそも小夜子さんを知る切っ掛けになったのはエリーなので)。1の頃のエリーは、設定上周りの期待に合わせて男子ウケの良い髪型にしていた可能性はあります。2のエリーはもうそんなことをしないから、周りが可愛いと思うよりも自分が可愛いと思ってしてる髪型を選択したかも。(「あなたが見間違えるような女性になってみせますわ」と約束したが、この髪型を選択したのはピアスではなくあくまでエリー自身の美の意識)

きっとエリーにもいつか、美を追究することは誰のためでもなく、自分の為だということが分かる日は来るはず。
いや、鏡の泉の時の台詞を見る限り、彼女は既に分かっているかもしれない。

うらら「エリーちゃんはどうするの?」
エリー「Kei達と、街の人々をお助けしますわ。そして、約束を果たします。私自身のために

拍手[22回]

天野舞耶考察(12月19日内容を加筆いたしました)



主に罪側の舞耶に関する考察。罰舞耶も考察したいけどセリフない考察も難しい。
そもそも私から見れば罪は「達哉視点の舞耶+他のキャラの物語」罰は「舞耶視点の達哉+他のキャラの物語」という構造なので、舞耶というキャラの物語は罪の時点でほぼ完成に近い状態だと思いました。
ちなみに、達哉も考察する予定があります。


----------------------------まずは舞耶の公式設定をご覧ください。


罪の舞耶は、元祖仮面党の子供たちから崇拝されたり女神扱いされたりして、そのせいなのか女性ユーザーの反感を買うことも多い印象。
でも、本当は女性の強みと弱みをよく体現していたキャラで、そのリアルさに私は親近感を覚えます。
繊細でよわくて、でも周りは年下だからすごく気を張っている。前向きな言行動+後ろ向きな性格、それが舞耶。
彼女の「ポジティブシンキング」って口癖も、人に言いながら自分に言い聞かせてる言葉なんですよ。
罪舞耶のキャラを解説するには、注目すべきポイントは二つあります。
一つは(ユングの)ペルソナの意味通り、無理にお姉さんであろうとしている部分、もう一つはシャドウ舞耶のポジション。

----------------------------舞耶のペルソナチェンジ
心理学用語のペルソナとは、外的な現実(あるいは社会)に対して適応した態度/界に適応するための社会的・表面的な人格のこと。子どもですら複数の「仮面」を持っていますから、社会人は社会に適応するために、もっともっとたくさんの「仮面」を持つようになります。
1、2の場合は、システムとシナリオ両方で「外界に適応する仮面」というペルソナの意味を表現したと私は思っています。
罪の公式本によるペルソナの解説

RPGには戦闘システムが必要、だからゲームシステム上は「悪魔元型には悪魔元型で対抗する」という形でペルソナの境遇に適応する機能を表現した。でも、ペルソナの種類ははこれだけではない。
悪魔や神のように超能力を持つ人格だけではなく、「会社用の仮面」とか「家用の仮面」とか、他にもまだまだたくさんあります。


シナリオ上では、1(異聞録)は「自分の影から逃げない」(セベク編の話の主軸は少年少女たちの冒険でもあり、「麻希と麻希の影たちの物語」でもあります)、「辛い現実から逃げない」(ゆきの女王編、エリーの台詞「人間とはどんなにつらくても生きている限り“現実”という砂漠を行く旅人」が印象的)ことで、ペルソナを通じてキャラたちは自分のアイデンティティを確立できてる。
これはペルソナ2も同じ、罪の子供も、罰の大人も、みんな悩んで迷って、色々な事を感じながらも、自分という存在をちゃんと確立できた。
社会や人生という大きいな舞台において、ペルソナという仮面をかぶり自分のキャラはなに?
自分は何になる、何が出来る、どんな演目をする?自分は望む通りの役を演じることができますか?
その答えはペルソナを探す行動に表れていると思います。
具体的に言うと
専用ペルソナの入手=精神的な自立、即ち自我の確立。
(1、2でペルソナ使いになる条件はフレィモンの前に自分の名前を名乗ることが出来ること。意識と無意識の狭間で名乗ることが出来ることは、自分をしっかり持っている証拠。そうでないと逆にペルソナに支配される可能性もある。)
初期専用ペルソナ=今の自分、他人に対する振る舞い
後期専用ペルソナ=未来のあるべき姿
システム上の専用ペルソナを探す行動は、シナリオ上の「自分を探す」を象徴するイベントだと思います。自分のあるべき姿に悩んでいる人は、うららだけじゃないですから。


とりあえず、ユングのペルソナの場合、誰でも複数のペルソナを持ち、場に応じてチェンジできます。
*3以降のペルソナは設定からすでにユングのペルソナの最大の特徴を失って、完全ゲームオリジナルとして考えた方がいい。
5のペルソナの特徴についてモルガナの説明は「心は一人に1つだから、ペルソナも普通一人1体」、これはもはや完全ゲームオリジナル。
システム上のペルソナチェンジ:様々な敵に適応するためにキャラがペルソナを変えること
シナリオ上のペルソナチェンジ:キャラがその場に相応しい態度を取ること。相手によって対応が変わるだけでキャラの本質は変わってない。
例えば、罪の達哉目線の克哉と罰の舞耶目線の克哉。達哉の前の克哉は「兄」のペルソナを被り、舞耶の前だと「歳の近い男性」のペルソナにチェンジ。
女性3人のお色気コンタクトもこれに当てはまります。一人でお色気コンタクト出来るのは若い子のリサのみ、でも3人だと「信頼しながらも競い合う、微妙な乙女心」になる。
これは舞耶、うらら、エリー一人の場合多分恥しくてできないでしょう。でも女子3人一緒にやると平気(笑)
これもその場に相応しい態度を取ること。人間のこういう周りに釣られたぁ~という「空気を読む」行動は、集団の中に居るには不可欠なコミュニケーション。
だから、罪舞耶と罰舞耶も、罪克哉と罰克哉も、本質的に同じ人だと思います。


罪の場合、年下の前では年上だと自覚しているので『お姉ちゃん』仮面を被って世話する側に回り込む、これが舞耶のペルソナチェンジ。人は皆仮面を被って生きているので、本来はとても普通なことだけど、罪舞耶の場合、周りは年下の子ばかり+その子たちから女神扱されるから、ありのままの自分でいられない、実はかなり抑圧されていたんです。
抑圧されていた分、舞耶のシャドウも他のキャラのシャドウより強烈。 
それが罰では開放されて、言葉は少なくなっても罪より生き生きしてるように見えました。少なくとも私にはそう見えました。


----------------------------アルカナから見た舞耶の本質

タロット占いにおいて月の意味は、不安定、幻惑、現実逃避、潜在する危険、欺瞞、猶予ない選択、曖昧な状況や不安定な心理状況、悲観的な考えを意味します
そして寓画の解釈は月の女神カードに描かれた人面の月は母性的な印象を感じさせます。様々な絵画の中で月が女性像と共に描かれるなど女性や女神の象徴として扱われた事から、月を「女性存在」の直接的暗示と置いて解釈される場合があります。
対応星座:巨蟹宮 この星座の星座記号は「母性の回転」を意味し、守護星は女性を表す「月」、四大元素は「水」を司ります。
そして天体としての月は、明るい面ばかりを人に見せて決して裏側を見せません。これは舞耶も同じ。

 人前では前向きに、でも一人になると落ち込みやすい。


舞耶の天然さは確かに本性、いわゆる自然体です。まあこれについて金子先生も公式本で「天然」の一言。でも、自然体でいられるには、彼女の天然さを受け入れる環境いわば人が必要。
だから、罪の舞耶の天然な言動は、殆んどゲーム前半のゆきのさんとコンビを組む時が多いんです。
舞耶「そう言えば、台風って家族連れで来るんだって!ユッキー、知ってた?!」ゆきの「それって台風一過のコトじゃ…。」
舞耶「放火魔を見たらすかさず…ほら、ユッキーも!」ゆきの「ちょ、ちょっと舞耶さん!よしなって恥ずかしい。」
など、毎回毎回ボケとツッコミのコンビ。
中盤以降の舞耶はあまりボケしない…確か科学館と天の川の時の2回だけ?全部乗物関連だし、そしてあまりウケがよくなかった(笑)交渉コマンドの漫才コンビも、ゆきのさんと組まされたときは舞耶がボケ役で、栄吉、リサと組まされたとき舞耶がツッコミー役。

ゆきのさんが去ったあと舞耶はこう言いました「ユッキーは仕事のパートナーというより、本当の親友だった。いつも私を応援してくれてて、呆れながら私を支えてくれてた。うふふ、年下なのにまるでお姉さんが出来たような気がしたわ。」
そう、頼りがいのある人がいるとつい甘えたくなり、ツッコミしてくれる人がいるとボケしたくなります。これもペルソナという、外的な現実に対して適応した態度。

罪前半の舞耶の天然っぷりは、ゆきのさんと言う支えが居たからこその言動。だからゆきのさんが去った以降、みんなのお姉さん役を背負って天然キャラから一転して達哉以上のリーダーシップを発揮する。
罪の高校生メンバー(恐らく当時多くのプレイヤーも彼らと同じ歳)にとって、23歳の舞耶はまさに「大人」で「お姉さん」であり、皆を照らす夜空の月みたい。

しかしよく考えてみれば舞耶はまだ23歳で、十分若い年齢です。

対して罰の舞耶は、周囲が大人だから自然体でいられます、無理に気を張っている印象はありません。言葉は少なくなりますが実はこちらのほうがニュートラルな印象。
だから里見さんが公式本でこうおっしゃっていました


罪舞耶も罰舞耶も、結局その場にふさわしい態度を取っただけです。



----------------------------月の裏側
舞耶のキャラ理解には、もう一つ重要な手掛かりはシャドウ舞耶。

達哉や栄吉、リサ三人のと、それぞれのシャドウとのやり取りを見る限り、誇張はあるけどシャドウは嘘をつきません。
そしてシャドウ達哉曰く「お前の心は、手に取るようにわかるぞ…」=シャドウ舞耶は誰よりも舞耶の心を理解しています
ならば、嘘をついているのは舞耶の方でしかない。
*タロット占いにおける月の「現実逃避、欺瞞」って意味を思い出してください。

「この世で一番都合がいい言葉って、なんだかわかる?"ごめんなさい"よ。言われた方は、どんなに辛くても憎くても、許さざるをえない…自分が罪から逃れる為に、相手に苦しみの全てを棚上げするこの世で一番汚い言葉…」
「何もなかったことにできたら、人生どれだけ楽かしらね?でも、忘れられる方にしたら、たまったもんじゃないと思わない?」
シャドウ舞耶の言葉は、すべて舞耶の本当の気持ちを代弁してくれると思います、誇張はあるけど決して嘘ではありません。

『舞耶は明るく活発で、誰でも好かれる性格です。だが、心の底には幼い頃に父に必要とされず、愛されなかったという悲しい思いがわだかまっています。
彼女が幼いころに感じたその悲しみは、大人になった現在、激しい感情に変換され表層にあらわれることがあります。
舞耶の象徵には、表と裏の姿をもち。満ちかけをして形を変える月がふさわしいといえよう。
』 (ペルソナワルードガイダス)
『自分が父に必要とされてないと傷ついた。その心の傷ゆえに、必要以上に他人に必要とされたいと思うようになった。』
(ペルソナ2 公式ガイドブック完全版)
これらの公式資料を見れば分かる、舞耶にとって子供たちに忘れられる事は、そう簡単に許せるものではないはず。
だから「忘れられる方にしたら、たまったもんじゃないと思わない?」はまさに舞耶の本音。
でも、そこがいいんです。
舞耶は聖人でもなければ女神でもありません、人間ですから。


ですから、他のシャドウに比べたらシャドウ舞耶はかなり異質な存在である
他のシャドウの悪意は本人に向かうに対して、シャドウ舞耶の悪意は明らかに子供たちに向かっています。
ユング心理学において、ユングはシャドウを「自分がなりたくないと思うもの」「苦手なものや生き方」と定義しています。
他人に必要とされたいと思う舞耶にとって、子供たちに罵言雑言浴びせるシャドウ舞耶はまさに「自分がなりたくないと思うもの」、だから、絶対に認めるわけがありません。



---------------------------舞耶はいつから、10年前のことを思い出したの?

アラヤ岩戸にて舞耶は「ここに来るまでに…あの泉のおかげで、全部思い出したわ」と言いましたが、あくまで「全部」ですね。
私の推測ですが、まず、科学館の炎中で達哉の記憶がフラッシュバックしたイベントがあるよね、恐らく達哉とともに、舞耶の記憶もよみがえってきたりするのです。



死んだ須藤にしがみついて(達哉に止められたほど)口調も荒々しくなり舞耶らしくない反応。10年前のことに対して強い関心が見られます。




リサたちを憎むようになってしまった瞬間だと思います、そしてその気持ちはそのままシャドウ舞耶に伝わるのでしょう。だから次のイベントはシャドウ舞耶のご登場。
ここの長い沈黙本当に意味が深いんです。ちなみに2回目もあります。


シャドウ舞耶を倒した後、舞耶はこう言いました
「ごめんね…みんなのこと忘れてて…本当に、ごめんね…!!」(忘れられたのは舞耶の方なのに)
「また会えたことを感謝しても、恨んだりなんてしない…むしろ、私の方こそ…」(許せない。でも、相手は謝っている…だからそう言わざるを得ない)
舞耶は嘘をついていますね、タロット占いにおいて月の意味通り。

おそらく、ラストバトル前のニャルとのやり取り
舞耶「誰かをこんなに憎いと思ったのは、初めてよ…許さないわ…絶対に!!」
ニャル「矛盾だな。何者をも許す広い心が、お前の専売特許ではないのか?」
ここのニャルの台詞もこのことへの皮肉をこめたでしょう、
「私を許せないだと?矛盾だな。」よりも「何者をも許す広い心が、お前の専売特許ではないのか?(子供たちを憎んでいるくせに」の方が皮肉が効いててニャルらしいから。

だから、彼女は女神でもみんなのお姉さんでもない、繊細で傷つきやすくて普通な女です。


---------------------------誓いという名前の枷
罪のジョーカー戦後の
舞耶
「淳クン…これが私の気持ちよ(ネモフィラの花)…
約束するわ…たとえ、誰がキミを責めても…世界中を敵に回しても…私が誓いを守るから…」
実はここずっとずっとひっかかってたんですが。
まるで愛の誓いみたい。いくら舞耶とはいえ「世界中を敵に回しても私が誓いを守る」って言いすぎたじゃない?
ネット上のキャラ考察も「性格は明るく前向きであるが、他人の弱い部分に寛容であろうとしたり、また「罰」においては全てを拒絶し1人で戦おうとする達哉を受け入れるなど、達哉とは正しい意味で対となるような優しさを持つ。 「罪」ではカラコルでジョーカーの呪縛から解き放たれた淳に、途中の豪傑寺で摘んできたネモフィラの花(花言葉:私はあなたを許す)を渡したり、「罰」では岩戸山で「向こう側」の記憶を取り戻したとき、それでも1人で戦おうとする達哉に対しての対応(叩くのか、抱きしめるのか)などにその優しさが顕著に現れる」とこのセリフを舞耶の優しさとして解釈した。
でも、本当にそれだけのことでしょうか。
大体この時点で、これまでジョーカーという加害者だった淳にとって一番必要なのは「誓い」ではなく被害者たちからの「許す」の言葉ではないでしょうか。
「あなたを許す」で十分。なのに「世界中を敵に回しても私が誓いを守る」ってちょっと話の重点がずれている感じ。
  
私から見れば、この「誓い」を必要とするのは淳ではなく舞耶自身ではないでしょうか。
このイベントは岩戸山イベントのちょど後。岩戸山でシャドウ舞耶に心の中の憎しみを暴露され、直後のイベントで自分を監禁した一人の淳との対面。
舞耶はそんな感情を許さない、でも憎しみは確かに存在する。だから、自分で自分に誓いという枷をはめるではないでしょうか。
もう「あなたを許す」と誓ったから、これから先何があっても淳を許さざるをえないんですから。
だからニャルの「何者をも許す広い心が、お前の専売特許ではないのか?」は皮肉の効いた言葉。
舞耶は、何者をも許す広い心を持つから淳を憎んでいないのではなく、 本性は優しいから淳を憎む感情を許せない、だから枷となる「誓い」が必要です。
でも、それこそ舞耶の本当の優しさだと思うんです。
これを裏付ける証拠は、この後獅子宮の神殿でシャドウ達哉の「本当は黒須のことも、憎くて仕方ないはずだ」に対して
「憎んで…いるかもしれない…だ。」を選択した場合の舞耶の沈黙。
------------
「達哉…僕は憎まれて当然だ…どんなに憎んでくれてもかまわない…
でも今は、達哉の力がなければ、あの子達の両親や街の人を助けることができないんだ…
こんなこと言える立場じゃないけど…この戦いが済むまでは、力を貸して下さい…お願いします…」
舞耶
「…………。」
栄吉
「淳、土下 座する必要なんてねぇ…俺たちゃ仲間じゃねぇか。
タッちゃん…ちっと見損なったぜ…」
 
ギンコ
「そんなのウソに決まってるよ!!ねぇ…達哉!!ウソだよね!?」
 
舞耶
「さ、達哉クン…そろそろ…」
-------------
この場面のみんなの反応は、ちゃんとそのキャラの「今一番関心のあること」を表現してとても興味深い。
淳はジョーカーとして犯した罪を償いたいから、彼にとって今一番関心のあることは子達との約束。
栄吉君は元番長で義理を重んじる人だから、今一番関心のあることは仲間の結束。仲間だからなんでも許せる、罰でも「そりゃアイツ(杉本)のせいで、どエライ目に会ったけど、ほっとけない っしょ。俺は番長すからね。」と言いましたから。
リサは何時でも一番関心のあることは達哉だから、ここの反応も「私の達哉がこんなことを言ったはずがない、ウソに決まってる」と一番気になるのは達哉の言葉と自分の中の達哉像とのギャップ。
そして舞耶の長い沈黙。これで2回目。
本当に「何者をも許す広い心」を持つならば栄吉と同じく淳を庇うはず。でも結局彼女は何も言わなかった。
そりゃそうでしょう、彼女は一番の被害者だからそんな簡単に許せるわけがない。
ちなみに「憎んでなどいない」を選択する場合シャドウ達哉から「たいそうな偽善者だ…でなければ、よほど完成された人格をお持ちのようだ。」と言われる。
結論 として、本当に「何者をも許す広い心」を持つのは舞耶ではなく栄吉君かもしれません。
淳のことも憎くて仕方ないからここで沈黙するしかない。そしてそんな淳を憎む自分を許せないから、枷となる「誓い」が必要。
そんな舞耶は、偽善者でもなければ聖人でもない普通の女です。
そして「世界中を敵に回しても私が誓いを守る」してまで自分の中の憎しみを殺そうとする舞耶が、とても愛しく見えます。
でも結局、舞耶の気持ちに子供の誰も気づかなかった。無理もない、あの明るいお姉ちゃんが、実は後ろ向きな性格なんて誰も思わないでしょうね。



---------------------------舞耶の最後の言葉について

「みんな、私のことは早く忘れなさい」のあれ。
本当にこれは舞耶の本心でしょうか。忘れたくないからあえて忘れなさいでしょうか。
私は、舞耶の言葉に偽りはないと思います。



以下、台詞から舞耶を考察します(一部は同士さんメモから引用)

コンタクトコマンド ・親子を語る
「親子の絆って、何よりも強いものよ…」
「お父さん、お母さんを大切にしよう!!」
「親孝行したい時に親は無し…本当よね…お父さん…」
舞耶の悩みの原因は父との関係、父が帰らぬ人となっていた今、親孝行したい時に親は無し。


・シルバーマン邸にて
「リサ、お父さんとはあまり仲が良くないみたいね…父親がいるだけでも、ずっと幸せなのに…」
「お父さん…私のお父さんも…家を守る人でいてほしかったな…」
心理的離乳期って言葉があります、舞耶は歳的にもう大人だけど、父への依存は他の子供と変わらない。だからラスボスのグレートファーザーに舞耶の父もいた。


・本丸公園で影人間の若者を見て
「誰も、あの人に気付かないし、気にも留めてない。突然、全ての人から忘れられちゃうなんて…考え様によっては、死ぬより怖いわね。」
舞耶にとって、忘れられることは死よりも怖い


・時間城にて
「確かに、人は過去の呪縛から逃れられないかも…でもね、私はどんなに辛くても、過去があるから未来もあるんじゃないかって思う。」
過去に呪縛されている自覚がある。


・3-1教室にて
「自分の理想が何なのか、その考え方は人によって違うし…違ってていいと思う。」
「だけど私は、生きるって理想に向かって突き進む事だと思う。自分の生きる意味を知る唯一の鍵…それが理想なんじゃないのかな…」
自分の生きる意味を知る唯一の鍵=理想に向かって突き進むが舞耶の価値観。


・サトミタダシ平坂店にて
「誰にだって、人に言えない悩みぐらいあるものね。他の人から見れば些細な事だけど、本人にとってはとても辛い事だったりして…」
忘れられるのは死ぬより怖いのことでしょうか


・「死んだっていいもん。」と簡単に言うイシュキックに対して
「そんな…そんな簡単に、死んでもいいなんて口にしないで!」
「今いる環境も、将来もどう変わるかは、自分しだいんだから!」
「大した努力もしないで、死ぬなんて口にするのは子供の証拠よ!」
後の影舞耶の台詞「お前は、死にたがっているはずなのに…」を対照して読むと、自分の中の「死んだっていいもん」な思いを認めたくないから、イシュキックの言葉に激しく反応する、
ネガティブな思考の舞耶の口癖が「レッツ·ポジティブ·シンキング!」のように。

岩戸山イベント後
・アラヤ神社にて
「私は…本物なのかな…私の方が、噂で生まれた存在かも知れないでしょ?」
自分という存在感の喪失


・豪傑寺イベント
住職の台詞
「夢は、人を豊かにもすれば、その身を滅ぼすこともある。まこと人間は、業の深い生き物よ。」
夢(理想)は、人を豊かにもすればその身を滅ぼすこともある。


・カラコル入口イベント
藤井の死を前にして
「夢に生き…夢に死す…止めちゃいけない…止められないって…わかってるけど…」
「これじゃあんまり…ユッキーが可哀想だよ…こんな想い…お父さん…」
頭では父親の生き方を理解しようとしても、夢を追った父親に訪れた結末については受け入れきれなかった。


・ムー大陸にて
「自分の夢を追って…そのまま消えてしまう…男の人って…」

・サトミタダシ港南店にて
「私の父さん…藤井さんとよく似てた…記者という仕事に…ううん、夢に誇りを持ってた。そして…」

・人間をイデアリアンにする事が人類の進化と信じているジョーカー(淳)に対して
「違うわ、淳クン!夢は与えてもらうものじゃない!」
「自分の力で叶えてこそ、価値があるの!!人が進化を望むなら、それだって…」
「違う!!違う違う違う…!!じゃあなぜ、私たちは生まれてきたのっ!?」
自分の生きる意味を知る唯一の鍵=理想に向かって突き進むと信じている舞耶。
というよりも、信じたっかたの方が正しいかも、夢を追って死んだ父親を信じたいから。
ですが、ゆきのや淳の姿を見ると、夢に生き夢に死すという生き方に対して疑問を抱くようになったかも。
それでも舞耶は父親を信じたい。父親の生き方に意義があると信じなければならない。
父親が自分を「捨てて」まで夢を追って死んでいった、その死に価値を見出さなければならない。たとえそれが住職の言葉「夢は、人を豊かにもすれば、その身を滅ぼすこともある」通りであっても。


・天蠍宮
「死んだ人は、生き返らないわ…死に、再生なんてない…」

・金牛宮
「これから自分と戦おうっていうのに、随分リラックスしてるみたいね、リサ…」
「これもみんな、淳クンと栄吉クン…そしてキミのおかげ…いつ私がいなくなっても、大丈夫だよね。」
私がいなくなっても、もう大丈夫。


神殿イベント後
・かおりにて
「岡村先生は、ずっと鳴羅門石を監視してたのね…一体どんな想いで、10年間もあの石を見守り続けてきたのかしらね…」
イデアル先生も大切な人を失い、その人への想いに囚われ続けた人なんだなと舞耶の台詞。舞耶もまた、死んだ人への想いに囚われ続けた。


・カンの間にて、過去の自分と父親を見て本心を露呈した後で
「ご…めん…大丈夫だから…私…大丈夫だから…」
すごく辛いけど、周りは年下の子ばかりだから無理矢理強がって見せた


・カンの間にて、達哉たちを前にして
「私…お父さんと同じ職業に就くことで、お父さんを超えようって…思ってたのかもしれない…」
「お父さんは、自分の夢を追い続けて死んだわ…戻ってきたのは、これだけ…」
「だから私…お父さんのできなかった、家庭と仕事を両立させる、立派なジャーナリストになりたかった…」
「ローランサンの「鎮静剤」って…知ってる…?」
「寄る辺無い女より哀れなのは 追われた女…追われた女よりもっと哀れなのは 死んだ女…死んだ女よりもっと哀れなのは 忘れられた女…」
「私も…みんなが、本当に私のこと忘れてしまっていたら…ここにはいなかったかもしれない…」

・カンの間にて
「なんか…ようやく、居場所を見つけたのかな…10年かけて、ペルソナが導いてくれた、私の居場所…」
ようやく…という程、これまで自分の居場所を感じられずに生きてきたよね。

・コールドスリープ部屋
「結局この人も、自分の過去の想いに縛られていたのね…可哀想な人…」
「死んだ人間は永遠…か…でも、それで残された人が不幸になるのなら…」

・ラスト
「私…忘れられる…より…もっと…哀れ…な…女が…わかった…わ…
それは…人を…縛る…女…
みんな…私のことは…早く…忘れなさい…」


対照して読むと、コールドスリープ部屋の台詞は「死んだ人間は永遠…か…でも、それで残された人が不幸になるのなら…(忘れられる方がマシ)」の意味だと思う。
それでラストの「忘れなさい」につながる。
10年中、自分の居場所を感じられずに生きてきた舞耶にとって、自分の一生は父に縛られていた一生
自分もいつか夢を追ってそのまま消えてしまうかも知れない。
だから達哉たちを縛る女にたりたくない、だから「私のことは早く忘れなさい」と。
それでも、最後まで父親の生き方を信じていたいから、最後の言葉は誰にも自分で夢を叶える権利があるでしょうね。


舞耶関連は罪の一番暗い部分でまさに月の裏側、正直彼女のあの状態では、罪の子供たちではどうすることも出来ないと思います…
(達哉の「泣きたい時には、泣けばいい」が唯一の救いですが、あれだけでは足りないよね…)
子供たちが彼女を神聖視すればするほど、舞耶は孤独に苛まれる、身を寄せれば寄せるほど、舞耶を傷付けてしまうのです。

それに、多分カンの間まで、彼女は子供たちと一緒にいる自分を許せなかった。
カンの間の台詞「なんか…ようやく、居場所を見つけたのかな…」は金牛宮「いつ私がいなくなっても大丈夫」の後だから、舞耶の考えも、少しずつ変わっていくのかもしれません
そう、多分罰の達哉の「俺はここにいる資格の無い人間なんだ」→「俺は…ここにいていいのか…?」とまったく同じパターン
しかし、あまりにも遅かったみたい。


大事なことなのでもう一度言います、舞耶が本当の自分を見せてくれるシーンはカンの間で素の感情を爆発させた時、岩戸山の彼女は嘘をついていた。


余談ですが、昔同士さんと雑談した時こんな会話があったんです
同士さんの意見『夢を追って死んだ父親に対して葛藤を抱えている舞耶は、「夢」に拘ってるから子供たちに「夢を持つこと」の大切さを説かれました。子供たちにとって、それは生きる希望となりましたが、ある意味、「普通に生きる」選択肢を失いました。それを考えると、もし舞耶が子供たちに対し「生きる意味を知る唯一の鍵=理想に向かって突き進む」ではなく、「当たり前のことを当たり前のように行うことの大切さ」を教えたら、罪の結末は、また違うかもしれません』
この考えにはとても同感

舞耶の父の声「いいかい、舞耶…記者という仕事は、世の中に必要とされる、誇りある仕事だよ…」
舞耶「だから私…みんなに夢を伝える記者になるの…」
これを見ると、そもそも舞耶が記者になるのは、みんなに夢を伝えるではなく、他人に必要とされたいから記者を選ぶのではないでしょうか。
「みんなに夢を伝える」ことは、夢を追って死んだ父親に対して葛藤を抱えて舞耶なりの父の生き方を理解しようとする方法。

カラコルイベントの後のビキニラインにて、舞耶はこんなことを言いました
「生きる意味なんて、言葉にしようとするから難しいんじゃないかな? きっと本当は、とっても簡単な…当たり前の事なんだよ。」
「それでみんな本当は、とっくにそれを持ってるの。だけどそれに気付いてないだけなのよ。…大切なものは目に見えないから…」

とっても簡単で当たり前の事というのは、「当たり前のことを当たり前のように行うこと」かもしれません。だからこのセリフがあったんです。

そしたら今までは気付いていないものが気付く、罰のラストソングの名前通に「Change your Way」(今の自分を変える)もできるかもしれません
この言葉は罰の達哉にそのままあてはまることが出来ます、でも罪の舞耶には変える機会がなかったです。


あと、10年前の舞耶はまだ13歳、13歳の子供には「当たり前のことを当たり前のように行うことの大切さ」を悟ることは無理だと思います。P4で言えば、子供たちは名探偵の如く殺人が起こる前犯人を阻止するのと同じように無理です。

異聞録、罪罰に関してのキャラは外見だけでなく内面も細かく設定してあるのでよりリアルにキャラ立ちしてるんでしょうね。コンタクトの掛け合いにしても、成立したり不成立になったり人間関係の難しさを感じさせられるし。
ここでP3、P4と比べると、そういうリアルさがP3、4では少ない気がします。
P3・4の人間関係は、例えをすると太陽系(主人公が太陽)で、異聞録、罪罰の人間関係は、例えをすると網目状。ユーザーの選択とはいえ、最終的に3・4の主人公はみんなと仲良くなってみんなの悩みを解決していく。異聞録、罪罰だと、達哉は舞耶、ゆきのの悩みには無力、舞耶はパオフゥ、克哉の悩みに何もできません。
罰の達哉も、まさになんでも自分だけで解決しようとする人。
しかし一人の力で解決できることには限界がある、それを分かる時、彼は人として成長していた。
それについてはまた、別の機会でお話しましょう。


まとめてみると、天野舞耶というキャラの魅力はなんでしょう?
舞耶の魅力は人間としての弱さと本性の優しさだと思います。
彼女は繊細な嘘つきさん、でも、人を傷つける為の嘘ではなく人を傷つけたくない為の嘘です、打算がある、けれど打算はない。。
その誰でも一度ある「強がり」的な部分は、愛しくてなりません。なぜなら私たちは誰でも完璧超人にはなれないから。
人の弱さを受けいれることは、自分の弱さをも受けいれます。舞耶の弱さを愛することは、人間の弱さを受けいれることと同じ。

最後は罰のカクテルの例え(私の中では五本入りのセリフ)を引用します

二次元で聖人キャラ、良い人キャラ、完璧キャラを作り出すことはとても簡単なこと、ありえない程度のお人好しにすればいいです。しかし人間としての「打算的な部分」、「強がり」、「弱さ」を体現するキャラは本当少ないんです。
だから舞哉もエリーもうららもゆきのさんもリサも、みんなカクテルのように味わいを持つ、カクテルのような美しい。

拍手[76回]

ペルソナ2ニケー自作3Dファンアート【画像多数注意】


ペルソナ2のニケーを3Dモデルリングにしました。
初めての自作3Dなので雑なとこはご容赦ください。それでも、ゼロからの出発なので地味に嬉しいです。これさえクリアできれば、ペルソナ2全員のペルソナの3D化も夢じゃないかなと。
ニケーを選択する理由は、金属一色だから一番初心者向け。それでも、3Dになってはじめてわかったことが多いんです、とにかく金子先生凄いの一言。あの年代で、金子先生ご自身も3Dソフトができないらしいのでどうやってこんなに立体的なデザインを出来るのでしょうか…
初めての自作3Dなのでうれしさのあまりに画像一杯撮影しました、画像の数に気をつけてください。


ついでに、ニケーの見た目を考察してみました。

作者さんによる設定の説明。きっとお父さんがパイロットだからエリーにとって翼のイメージは鳥ではなく航空機ですね。
異聞録ver.のニケーの翼は羽根だけど、その翼自体も航空機と同じ金属制だから。
あとお母さんはデザイナーだから、もしかしてお母さんの仕事場でニケーの像を見た機会もあるかもしれません。エリーの両親について少し妄想してみました
以下ニケーの飛行形態についての解説
航空機のこと本当にわからないので、あくまで絵としての考察にすぎないということをご了承ください。
3Dになって初めてわかったことは、ニケーのデザインは、とにかく凄く航空機になぞらえて機能的にデザインされたコスチュームであること。
よってこのフォルムの真価を発揮するには、通常の立ちポーズよりも飛ぶポーズをしている方がしっくり来るのです。
アバタール・チューナーのシエロの飛行形態と同じ凄く航空機のイメージを連想させてくれます。
ペルソナはあくまで心の産物ですから、実際に飛べるかどうかではなく、素人目で見ても「これ航空機ですね」を連想させることが一番重要ですね。


頭の構造につきまして


これはメタトロンやペルソナのクロノスなども同じですが、金子先生はロボットデザインはモビルスーツ風(パイロットあり)なデザインとは正反対の「ロボット風な男女や悪魔」ではないでしょうか。


以下画像です、最後に壁紙サイズの数枚。お持ち帰りにもどうぞ。
----------
       

光るラインによるこの脚線美とハイヒールに注目してください



夕焼けの背景にしたら空山基さんの絵柄ぽっくになってびっくり
 

画集3以降の金子先生の配色(白と灰多め)を真似してみた

------------------

拍手[14回]

        
  • 1
  • 2